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ひでを布団に寝させたりドライアイスや枕飾りを準備してもらっている間に

 

私は葬儀の打ち合わせや死亡届に自分の名前や住所を書いた。

 

普段なら絶対に間違えない単純な内容なのに何カ所も間違えて、訂正印でいっぱいになった。

 

そのあいだに友達たちは酒を買いにいって、早々とひでの周りで宴会が始まる。

 

しばらくしてひでのおじいちゃんおばあちゃんおばさんが来てひでを囲んで、

 

夜中に呼び出されて飛んで来たよしみちゃんやアニキも疲れているし、

 

葬儀屋さんもいったん帰宅した。

 

 

 

 

もうその辺からはいつが朝でいつが夜だったのかも

 

何回寝れたのかもよく覚えていない。

 

連絡した友達が仕事の前に駆けつけてくれて、

 

そのころにはすでに宴会も始まってしんみりモードも突破した私たちと、

 

今あいに来てくれた友達との間にはかなりのテンションの差があった。

 

ひでのおでこの上に置いてあるひでが気に入っていた猫の人形に突っ込むこともなく

 

無言で線香をあげじっとひでと心の会話をしている。

 

それが普通なんだろう。

 

でもやっぱりひでの友達、すぐに気を取り直してそのままみんなで15時くらいまで宴会して一旦解散した。

 

 

 

 

少し寝ようかと思ったけど、会葬礼状を自分の言葉で書きたい!と自分で言ったので、

 

夕方にまた葬儀屋さんが来るまでにやってしまわなければとパソコンに向かって、

 

何枚か選んだ遺影写真もSDカードに移して、

 

夕方からよしみちゃんとアニキも来て葬儀屋さんと打ち合わせをした。

 

ほぼ毎日葬儀屋さんも来てくれて打ち合わせをして、

 

いくら冬とはいっても一週間近くあればご遺体の状況によっては霊安室に移動します。

 

と言われていたけど毎日ドライアイスも変えてくれて、

 

ひではずっときれいな顔をしていた。

 

 

 

 

そのかわり真冬に暖房のつけられないひでのいる部屋で

 

葬儀でつかうスライドショーや動画の編集作業を建太やシュウと毎日してた。

 

とにかく寒かった。

 

なんども母が暖かいお茶やコーヒーを入れてくれてもすぐ冷める。

 

部屋の中で息が白いくらいとにかく寒かった。

 

ピンクの毛布に包まれたひでが一番暖かそうだった。

 

 

 

 

夜に友達が三人でひとり一本づつシャンパンを持って来てくれて、

 

すぐに空になってひでの枕元にシャンパンの空き瓶が三本ならんだ。

 

末期の水に使う棒にお酒を含ませてひでの口に着けてあげる。

 

こんなんじゃ飲んだ気しないっていいそうだよね!とかいって直接口にたらしてあげる。

 

たくさんお酒を飲みました。

 

タバコも吸いたいよね!火の着けたタバコをくわえさせてあげても当たり前だけど吸えない。

 

一度私が吸った煙を少しだけ開いてるひでの口にそっと吹き込んであげた。

 

 

 

 

とにかく夜は宴会をして昼は作業や打ち合わせを毎日してた。

 

みんな笑顔でひでと記念撮影をして、ひでをほったらかして黙々と作業した。

 

通夜の司会をお願いしたハマも毎日来てくれた。

 

ひでがいる間は「いってらっしゃい」「おかえりなさい」ってくらい友達みんな毎日、

 

仕事を挟んで一日に何度も来てくれるくらい賑やかだった。

 

 

 

 

香典返しや通夜ぶるまいなどはアニキやよしみちゃんと相談してすぐに決まった。

 

入院中にお肉はたくさん食べたけど

 

生魚は食べれなかったひでのために鮨職人に来てもらうことになった。

 

前代未聞のすごい葬儀をしたいんです!

 

という希望をきいて葬儀屋さんもたくさんの面白い案を出してくれたり考えてくれた。

 

 

 

 

バズーカみたいなおっきなクラッカーでも鳴らそうか!?

 

なんて盛り上がったりもしたけど、

 

参列者とのテンションの温度差がありすぎそうなのでやめました。

 

悲しんで参列しにくる人の感覚が解らなくなるくらい、

 

最後の祭りを派手にしたい!ひでなら絶対喜ぶはず!って高まってた。

 

 

 

 

みんな私のことを盛り上げてくれたし、みんなで一つの物を作り上げる。

 

そんな感じで結婚式か文化祭の準備でもしてるような感じだった。

 

ほんとうにおかしいけど、すごく楽しくて幸せな時間だった。

 

みんな泣いてるよりも断然笑ってる時間の方が長かった。

 

遅くまで作業してそのままみんなひでと一緒に雑魚寝した日もあった。

 

 

 

 

寝ないで食べないで寒い部屋でずっと作業してたからか、

 

一度だけ突然気分が悪くなって血の気が引いていくのがわかった。

 

脳梗塞をやったときの気持悪い感じを思い出して、

 

今倒れる訳にはいかないって怖くなったけど、

 

暖かいところに連れていってもらったらしばらくしてよくなったから、

 

貧血か低血糖か対したことなくてよかった。

 

そんな状態でも疲れとか眠さとかあんまり感じなかった。

 

 

 

 

一日だけひでと二人きりで眠った。

 

最後までひでの体は柔らかくて綺麗だったけど

 

毎日ドライアイスで冷やしていてとても冷たい。

 

左側はそうでもないけど右の方が少しずつ固くなって

 

半解凍したお肉のような何とも言えない感触だった。

 

二人きりといっても何をしていいかよくわかんなかった。

 

ほっぺたに触れて話しかけて、

 

二階で寝ている家族に聞こえないように声を殺して少し泣いた。

 

暖房の使えない寒い部屋でひでは冷たい。

 

ひっついて眠りたかったけどそんなことしたら

 

私は凍えてしまうし、ひでは暖まってしまう。

 

微妙な間隔をあけて最後の添い寝をした。

 

 

 

 

19日にひではおばあちゃんちに移動した。

 

私はひでが好きだった白地にピンクのリボンが刺繍してある服と薄紫の短パンを履いて、

 

ひでにラストメイクをしてあげた。

 

ひでは本当にきれいな顔をしてたけど、

 

より顔色がよく見える方法も教えて貰ったので控えめに優しくお化粧してあげた。

 

自分が誰かに死化粧するなんて夢にも思っていなかった。

 

でも大切な人の最後を自分の手で綺麗にしてあげられて嬉しかった。

 

 

 

 

そして、状態によっては霊安室にと言われていたのに葬儀屋さんも驚くほど綺麗なままのひでは

 

無事に大好きなおばあちゃんのうちに行くことが出来て本当によかったね!

 

お迎えが来て、

 

ひでは白い布に包まれて、建太とシュウと一緒におばあちゃんの家に行った。

 

家の外で手を振っていると、ひでの最初の入院中毎晩庭に来て私を支えてくれた、

 

ひでも可愛がってた野良猫の「ボス」が脇の駐車場からひょこっと出て来て

 

ひでのことを一緒に見送ってくれた。

 

 

 

 

何日も一緒にいられたのに、二人で眠ることも出来たのに、やっぱり寂しかった。

 

ずっと手を振ってひでを乗せた寝台車が角を曲がって見えなくなった瞬間、

 

家にかけ戻ってさっきまでひでが寝てた冷たい布団の上でうずくまって号泣した。

 

でも、その夜にはおばあちゃんちで

 

ひでがしたがっていた「川の字」で眠ることが出来たみたいでよかったね!

 

おばあちゃんのうちでもひではピンクの花柄のかわいいお布団をかけてもらってた。

 

 

 

 

通夜まで最後の一日、ひでが近くにいなくなったことは

 

寂しいだけじゃなくて私にとってもよかったと思う。

 

自分では気がついていなかったけど、やっぱり疲れていたと思うし、

 

少しだけゆっくり過ごすことと、やらなくちゃいけないことを心置きなくやることが出来た。

 

まず私はひでに持たせてあげる最後のお弁当を作った。

 

内容はだいぶ前から考えてあった。

 

私は記念日などに料理を作る時には事前に考えをイラストにしてメモする。

 

そのお弁当ももうイラストにしてあって必要な材料も買ってあった。

 

ひでが帰って来てから、ひでをおばあちゃんちに見送る時に玄関先に出たとき以外

 

一歩も外に出てない私は、つまりひでが亡くなる前から最後のお弁当の準備をしていた。

 

棺の中に入れてはいけない物も聞いていた。

 

全部燃えるもの。ラップさえよくないのだ。

 

果物などの水分の多い物は燃えにくくしてしまうし、

 

ビニールや金属などは骨を変色させてしまうらしい。

 

なんでもかんでもいれたらよくないのは何となく知ってたけど、

 

ちゃんと詳しく聞いておいてよかった。

 

 

 

 

紙の箱にひでの好きだった物を目一杯詰めて大きなお弁当が出来た。

 

そして葬儀屋さんが提案してくれた「最後のラブレター」という物を一人でゆっくりと書いた。

 

久しぶりにひでと出逢った頃の日記を読み返しながら懐かしい気持でいっぱいになった。

 

ラブレターを書いている間はひでとの思い出を振り返るとても有意義な時間だった。

 

葬儀で読まなきゃいけないからなんとか、それでもかなり長くなったけど、

 

便せん数枚で終わらせたけど、ひでのためだけに書くとしたら本が一冊出来るくらい長くなったと思う。

 

 

 

 

そういえばラブレターなんて書いたことあったかな?

 

出逢って初めてのバレンタインにひでの好きなところを一つずつ書いたフォーチュンクッキーをあげた。

 

私の出勤よりひでが遅く起きる生活をしていた時には朝ご飯の横に毎日書き置きをした。

 

たまにお返事が書いてあった。

 

けんかをした次の日にごめんなさいの手紙を書いた。

 

退院したときはお疲れさまの手紙を書いた。

 

こんなのもラブレターになるのかな?

 

 

 

 

付き合う前にそのときひでがはまっていたダーツの羽に

 

「好きです彼女になりたい」って書いて渡したことがある。

 

その時に降られてから私からは好きとも付き合いたいとも言った事なかったけど、

 

それから数ヶ月後にひでが付き合おうって言ってくれて、

 

家に帰ってから二人で正座して向かい合って「よろしくおねがいします」って言ったな。

 

最後にひでの物を片付けている時に

 

ひでの財布からその時のダーツの羽が出て来た。

 

ずっと持ってたんだ。

 

 

 

 

そして喪服の準備をした。

 

実家の家紋の入った喪服を見ながら、

 

どこかで着物の喪服を着ることに少し憧れがあったけどこんなにも早く、

 

そしてひでの為に着るなんて想像もしてなかったと思った。

 

私の家族はみんな家に泊まっていたから部屋が喪服のハンガーでいっぱいになりました。

 

 

 

 

そしてそのころ葬儀の準備を手伝ってくれていたみんなは

 

プロジェクターや音響などの設営の下見に式場に行ってくれていた。

 

式場の下見なんてそれこそ結婚式かって感じで、

 

たぶん普通の葬儀ではしないことだと思います。

 

そしてその日はやっと暖かい部屋で眠ることが出来た。

 

 

 

 

通夜の当日は朝からひでのおばあちゃんちに行って納棺をした。

 

運び込まれた棺にみんなでひでを入れて、

 

ひでが自分で棺に入れてほしいと言っていた猫の人形を入れたり、

 

アニキの音が鳴って動く人形を入れてなんだかとても陽気な音を鳴らして

 

みんなでグスグス鼻をすすりながらも笑ったり、

 

おでこや鼻がよしみちゃんにそっくりだねとか棺の大きさがぴったりでよかったねって話したりして

 

棺を一旦閉めた。

 

 

 

 

冷たくなって、うちからいなくなって、箱に入って、蓋が閉じて、

 

少しずつ少しずつひでが遠くなっていく。

 

そしておばあちゃんの家から棺が出されて、

 

棺に入ったひでとよしみちゃんを乗せた寝台車はひでの実家の前を通って一足先に葬儀場に向かった。
私はその後美容院で髪の毛をセットしてもらった。

 

火曜だったのでやっている美容院を探すのが大変だった。

 

そして、「これから主人の葬儀で喪主をするのでそれ用にセットしてほしい」

 

と言った私の説明に担当してくれた若い美容師さんは

 

あまりピンと来ないようだったしどういうおしゃべりをすればいいのかわからないようだった。

 

 

 

 

それから家に帰って喪服に着替え、

 

アニキが車でむかえに来てくれて式場に向かった。

 

葬儀屋さんや手伝ってくれてた友達たちはもっと早くから式場に行って設営をしてくれていた。

 

式場について、まだお花の名前を付けている最中だったけど、

 

ど真ん中にピカピカのドラムが輝いてて笑顔のひでの大きな遺影があって

 

綺麗なお花でいっぱいに囲まれている祭壇を初めて見て

 

カッコ良すぎて感動して鳥肌が立った。

 

泣きそうだった。

 

 

 

 

そしてアニキに駐車場の裏に連れていかれて、

 

初めてひでのお父さんに会った。

 

すごく簡単に挨拶をしただけだったけど、

 

ずっと会ってみたかったお父さんにひでのお通夜で初めて会うなんて、

 

なんて言ったらいいのかわからないけど、

 

ひではお父さんのことあまり良く言うことは少なかったけど、

 

子供がすごく好きで人気者だったよ。とか、

 

結婚したこと知ったらきっと嫁ちゃんのことすごく可愛がってくれたよ。

 

とか言ったこともあった。

 

きっとひでも久しぶりにお父さんに再会できて嬉しかったと思う。

 

 

 

 

私、喪主なのに何もしなくていいのかな。

 

とひでの親友で葬儀委員長の建太に言ったとき、

 

葬式なんて周りがやるもんで喪主なんて飾りなんだから立ってればいいんだよ。

 

と言ってくれたから、本当にあれでよかったのかな、と思うくらい何もしなかった。

 

式自体のことはあんまり覚えていない、

 

私はその都度言われたようにしていればよかった。

 

 

 

 

ただとにかく何度も何度もお辞儀をしていた。

 

長い時間、何百回、いや千回を超えていたかもしれないくらい頭を下げた。

 

そのくらいたくさんの人が来てくれた。

 

そして覚えているのがほとんどの人がひでに触れ、話しかけた。

 

人も落ち着いてからは私はフラフラあっちこっちと動いていろんな人と話をしていた。

 

私が知らない人もたくさん話しかけて来てくれて、ひでとの関係などを話してくれた。

 

私の姿が見えなくなると、

 

長時間寒い中で着物で立っているだけでも体力を使うのに

 

私がどこがで具合悪くなっているんじゃないかとか、

 

倒れちゃわないかとみんな心配して探してくれてたみたいだけど、私は元気だった。

 

 

 

 

とにかく気丈にしていたい!

 

と思って落ち込むもんか、泣くもんかって思っていたけど、

 

頑張ってこらえなきゃいけないほどのこともほとんどなかった。

 

私がただ冷たい人間だっただけの話かもしれないが、

 

脳がドーパミンとかなんかの成分を多めに出してくれてたとしか思えないほど心も体も元気だった。

 

 

 

 

私は全てを見て来てここにいる、

 

自分の人生が変わる訳でもないのに良くそこまで泣けるな、と思った瞬間も何度かあった。

 

やっぱり私は冷たい人間なのかもしれない。

 

全てを見て来たから受け入れて冷静でいられる訳で、

 

久しぶりにこんな姿で対面したら涙が出るのも当たり前なのに。

 

そして後から聞いた少し笑える話だけど、

 

ひでも含めて手伝いをしてくれてた友達のほとんどの元カノが何人も参列してくれていたらしい。

 

なんかバッティングしないようにひやひやした人もいるとかいないとか。

 

ひでの元カノは多分四人来ていた。

 

 

 

 

詳しくは書けないけど、

 

もし私がどん底の気持で通夜を迎えたか弱い嫁だったとしたら自殺しかねないだろうと思うような、

 

おそらく確信犯であろう仕打ちを仕掛けて来た人もいた。

 

残念ながら私は図太いので、

 

この人幸せじゃないんだろうな、私の勝ち!と思っただけだったけど。

 

 

 

 

夜は楽な格好に着替えて受付や手伝いをしてくれたみんなとお清めの会場で食事したりお酒を飲んだ。

 

ひでへの想いを泣きながら発表して笑われる人や

 

シャンパンをボトルで飲んだり、

 

ひでの口にお酒を注いだり、ワイワイ盛り上がっていた。

 

もちろんみんなそれぞれ切ない気持を抱えていたと思うけれど、

 

誰一人しんみりしている人はいなかった。

 

 

 

 

手伝ってくれていた友達も、それぞれ帰ったり地元の飲み会に行って、

 

夜には式場は中から鍵をかけていたけど、

 

忘れ物をとりに来た一人が

 

「外で手を合わせてる人が居るよ」と言って見に行ったら、

 

ひでが会いたがってた人が、

 

「こんな時間だから終わっているのはわかっていたけど、森田さんなら会える気がして」

 

と来ていてくれた。

 

このタイミングじゃなきゃ気がつかなかったし、やっぱりひでは持ってるなと思った。

 

上に上がってもらって、勝手に棺のふたを開けて直接顔を見てもらった。

 

いろんなことがあっていろんな人を見て来た。

 

本当に心がある人とそうじゃない人はだいたいわかる。その人の訪問はとても嬉しかった。

 

 

 

 

通夜が落ち着いた時に一階の式場から二階のお清め会場にひでをあげていてくれたから、

 

ずっとひでの近くに居れた。

 

たぶん、この会場、この葬儀屋さんじゃなかったらこんなことも出来なかったんだと思う。

 

その日私は二階にあった和室に泊まった。

 

これで本当に最後の夜なのに、

 

なんかちゃんとひでにおやすみも言えないまますぐに眠ってしまった。

 

同じフロアにひでがいたから安心だったのかもしれない。
 

 

 


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