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ヒデがなくなった日

 

 

この日から葬儀の日までは一週間あったけど、

 

長い一日のような流れるように繋がった期間だった。

 

なんだかドラマを客観的に見ているような感じだった。

 

 

 

 

1月15日の午前一時頃、

 

タンの吸引をしてるときに酸素がかなり下がり始めた。

 

タンを引かないと呼吸がしづらいけど吸引してる時は一時的に酸素が下がる。

 

吸引をやめても酸素が戻らない。

 

どんどん下がってしまう。

 

 

 

家族を呼んだ方がいいと言われた。

 

よしみちゃんに電話した。

 

夜中だったから兄貴の電話と交互にかけて何回目かでやっと通じた。

 

 

 

 

「すぐに来てください」

 

 

 

 

と言ったら「すぐ行く」と言ってくれた。

 

そしてヒデの親友の建太にも連絡した。

 

 

 

夜勤帯で看護士も少ないのにみんな病室に来てくれて、

 

動いていない肺の方の背中をたたいていた。

 

「森田さん!森田さん!頑張ってください!」

 

 

 

 

「耳は聞こえているんで声かけてあげてください!」

 

 

 

 

あ、ドラマかなんかで聞いたことあるな。

 

「ひで!頑張って!ひで!」

 

ひでの背中をバンバン叩きながらだんだん涙声になる。

 

声に詰まると看護士さんが代わりに

 

「森田さん!頑張ってくださいね!」と声をかけてくれる。

 

 

 

 

そんな事しているうちに今まで小さな機械の着いていた心電図が

 

ベッドサイドでモニターが見れるものに変えられた。

 

これもドラマで見るやつ。

 

病室でヒデの心臓の音が

 

 

 

 

ピッ、ピッ、ピッ

 

 

 

 

と鳴っている。

 

先に建太が着いた。

 

「ひで!ひで!建太が来たよ!わかる?ひで!」

 

建太は

「おまえ頑張れよ!」

 

とか声をかけてくれてから足下の方でじっと見てた。

 

 

 

今日に限ってヒデの信頼している大好きな先生がいない。

 

「ひで!今日は先生いないからだめだよ!だから頑張って!」

 

と言ったら

 

「先生向かっているんですが、家が遠いので時間がかかるかもしれません」

 

と看護士さんが言った。

 

「ひで!先生来てくれてるって!もう少しだから頑張ってね!!ひで!」

 

酸素はだんだんと下がっていく。

 

急激に下がる。酸素28。

 

 

 

 

「ひで!!よしみちゃんたちもうすぐ着くから!頑張ってよ!ねえ!ひで!ひで!」

 

 

 

 

80台まで急上昇する。

 

やっぱり耳は聞こえているのかな。苦しいのかな。

 

でもお願いだからよしみちゃんと兄貴が到着するまで頑張ってね。

 

先生が到着した。時間がかかるかもと言われてから数分後だった。

 

きっと本当にすぐ飛んできてくれたんだと思う。

 

「ひで!先生来たよ!!」

 

 

 

 

しばらくしてよしみちゃんと兄貴が到着した。

 

「ひで!よしみちゃんと兄貴きたよ!!」

 

私は一瞬気が抜けて泣いてたと思う。

 

もう動揺して取り乱していてあんまり覚えていない。

 

みんなが来たところで看護士さんが後に引いた。

 

 

 

 

よしみちゃんは一番近くにいたいはずなのに

 

「嫁ちゃんこっち」

 

と私をひでの顔に近いところに呼んでくれてそのとなりによしみちゃんがいて

 

向かい側に兄貴がいて三人でヒデをゆさぶりながら

 

「ひで!ひで!」って言い続けた。

 

 

 

 

何日も目なんか開けなかったヒデの目がすーっと開いた。

 

最期にヒデの目には何が写ったんだろう。

 

ピッピッというひでの命の音が

 

 

 

 

『ピーーーーーーーー』

 

 

 

 

という。

 

「ひでー!!」とゆさぶると

 

ピッピッピとまた動き始める。

 

 

 

 

もう呼吸はしてない。

 

心臓が止まるのは時間の問題だ。

 

心拍数が0になりピーーと言ってまた復活するのを何度か繰り返していたらしい。

 

自分とみんなのヒデを呼ぶ声でもう心電図の音なんか聞こえない。

 

「ひで!ひーでー!!ひで!!」

 

ひでをゆさぶりながら泣き叫ぶようにヒデを呼びながら私は

 

 

 

 

もしかしたらもう、ヒデの時は終わってしまったのかも知れないと思った。

 

 

 

 

振り返って心電図のモニターを見たけれど、涙でにじんで全然わからない。

 

「ひで!ひで!」

 

と呼び続ける私たちに先生が

 

「心臓も止まっているようですしそろそろ診察をしましょう」

 

といった。

 

 

 

 

きっともっと前に心臓は動かなくなっていたんだと思う。

 

先生は声をかけられなくてしばらく見守ってくれていたんだ。

 

わかってたのに、

 

もうそういうことなんだろうと判っててゆさぶって名前を呼んでいたはずなのに、

 

そういわれたらもう、頭がおかしくなったみたいだった。

 

 

 

「やだー!やだ!ひで!!やだー!ひで!!やだ!」

 

 

 

とだだっこみたいにヒデにしがみついて泣きわめいた。

 

そんな私の手をよしみちゃんがぎゅっと握ってくれて一緒に横の方にずれた。

 

心電図のモニターにはもう何も写っていなかった。

 

これまたドラマのように聴診器で心臓の音を確認してペンライトで瞳孔を見る。

 

診察してる間ベッドの反対側でよしみちゃんと手を握り合ったまま泣いていた。

 

そして先生が腕時計を見ながら、決め台詞のような

 

 

 

 

「何時何分、ご臨終です」

 

 

 

 

その瞬間また声を上げて膝をついて泣いた。

 

ひではまだあったかい。

 

さっきまでのひでと今のヒデと何が違うのか判らない。

 

三人でゆさぶりまくったから浴衣ははだけて無造作に広がった足やおむつが丸見えだった。

 

私は浴衣を引っぱって足を隠した。

 

それからどのくらいそのまま泣いていたか判らないけど、先生が

 

 

 

「ずっと着いていた管を外して体を奇麗にしてあげましょうか」

 

 

 

と言ったとき突然私は冷静になった。

 

「はい、早く全部外してあげてください」

 

だって首のカテーテルもおしっこの管も嫌だったよね、

 

心電図のコードも酸素の機械も邪魔だったよね、

 

再入院してからずっとつけっぱなしだったもんね。早く取りたいよね。

 

 

 

 

「これ、着せてあげてください」と用意してあった服を看護士さんに渡した。

 

ロビーでお待ちください。

 

と病室を出されたけどロビーではなくてエレベーターの前の椅子に座った。

 

毎日見ていた新宿の景色。真夜中なのに夜景が奇麗だった。

 

涙と鼻水が収集着かなかった。

 

私は無意識に病室から持ってきた箱ティッシュを抱えてボーッと外をながめていた。

 

みんなほとんど言葉は交わさなかった。

 

 

 

その間に建太がゆいまーるさんと私の母に連絡をしてくれた。

 

ゆいまーるさんは何も言わなくても

 

「わかりました」と一言ですぐに迎えに向かってくれた。

 

しばらくしたら先生が

 

「お話があるのでご家族はこちらへ」とカンファレンスルームに通されて、

 

 

 

「大変残念ですが2時22分、森田英義さんは亡くなってしまいました」

 

 

 

と言った瞬間、2時22分!?ニャンニャンニャンだ!と私は嬉しくて楽しくなってしまった。

 

顔もニヤケていたかも知れない、頭がおかしくなったと思われたかも知れない。

 

実際におかしくなっていたのかもしれない。でも、

 

先に死んでしまったら、猫になって私のもとに現れると約束していた。

 

私たちの中で猫は大切なキーワードなのだ。

 

ひでのおちゃめな最後のプレゼントだと思った。

 

 

 

 

大学病院なので一応解剖をするかしないかの確認の話だったけど、

 

私は頭の中が222でいっぱいでほとんど話なんか聞いていなかった。

 

兄貴が

 

「解剖は必要ありません」

 

といって終了した。

 

 

 

 

それから処置が終わって病室に戻ったら全ての管が外されて奇麗に着替えを済ませたひでがいた。

 

ほらね、似合ってる。

 

奇麗に整えられていると心臓の動き呼吸、命の動きがないのがはっきりと判る。

 

さっきとはまた違うむなしい悲しさがこみ上げた。

 

それでもまだまだ肌は温かくてやわらかい。

 

よしみちゃんは

 

「頑張ったね、辛かったね、ごめんね」と何回も言って、

 

兄貴は

 

「泣かないようにしようと思ってたのに泣いちゃった。ごめんね」

 

と言った。

 

 

 

 

私が2時22分の話をしたら、張りつめていた空気が緩んで初めてみんなが笑顔になった。

 

そして、少し口が開いているのが気になって顎を持ち上げて口を閉じようとしたら

 

「クォー」っと息が漏れた。

 

きっと器官に残っていた空気が出たんだと思うけど、

 

「ひでがしゃべったー!」ってまたみんなで笑った。

 

 

 

 

そして加曽利が駆けつけてくれて、やさしくひでに話しかけてくれた。

 

母も到着して、

 

ゆいまーるさんが迎えにきてくれた。

 

「ご遺体をヒデ君とお嫁さんのご自宅にお運びしてよろしいですか」

 

ひでは無事にお家に帰れることになった。

 

 

 

 

その間に病室の荷物を全て片付ける。

 

私はこの時のために少しずつ使わない物を片付けて家に持って帰っていたけど、

 

袋に入りきらない物をゴミ袋にまとめて、まだこんなにあるんだなと思った。

 

 

 

 

後から知った事だけど、

 

この時すんなりと事が進んでいると思っていたけれど、

 

実はこの病院では亡くなったらとにかく病院の霊安室に安置する事になっているらしく、

 

そのまま連れて帰る事例がほとんど無かったらしい。

 

病院の葬儀屋さんや看護士さんや色んな人に掛け合って

 

ゆいまーるさんがすぐにヒデをお家に連れて帰れるようにしてくれていたのだった。

 

 

 

 

白い布に包まれてストレッチャーに乗ったひでが病室から出てきてエレベーターに乗るときに先生が

 

「ご希望の葬儀屋さんになりましたか?」と聞いてくれた。

 

先生の眼差しはいつも鋭くて熱い。

 

いつもより赤くて潤んでいるような気がした。

 

その目を見ながら「はい、ありがとうございました」と言った。

 

ひでが大好きだったその先生には

 

そんなこと先生が聞いてくれるようなことじゃない相談や愚痴など何度も話していた。

 

いつも真剣に聞いてくれた先生を本当に信頼していた。

 

 

 

 

ひでのストレッチャーと一緒にエレベーターに乗って下まで降りると

 

反対側のドアがあいて薄暗いフロアが見えた。

 

当たり前だけど初めてだったのでビックリした。

 

霊安室の横の廊下を通って裏の駐車場で寝台車が待っていた。

 

ひでを寝台車に乗せている間に先生が

 

「大事なものを渡さなくちゃいけません」

 

といってひでの死亡診断書を渡してくれた。

 

そして最後に

 

 

 

 

「おたがい、いい人と結婚しましたね」

 

 

 

 

と言ってくれた。

 

ひでは人気者だった。頑張っていた。みんな知っている。

 

でも私のことも見ていて解っててくれたのかなと、

 

全てが報われたような気がするくらいありがたい言葉だった。嬉しかった。

 

ずっと忘れないだろう。

 

 

 

 

私とよしみちゃんも寝台車に乗って出発した。

 

先生や看護士がみんな下まで来てくれて、

 

前の病棟で仲良くしてくれた看護士さんも聞きつけて来てくれて、

 

みんな並んでお辞儀をしてお見送りをしてくれた。

 

霊安室に行かずに直接帰ることがほとんどないのだから、

 

これも珍しいことなんだろう。

 

 

 

 

病院の前の通りで建太がバイクで待っていた。

 

ひでの思い出の場所を通って帰るための先導役だ。

 

深夜の大通り、

 

建太のバイク、ひでとよしみちゃんと私の乗った寝台車、アニキの車。

 

三台並んで走ったあの光景も今でも印象に残っている。

 

ひでに「この通りだよ!」「一緒になんとかした場所だよ!」とか話かけながら進む。

 

「ひで!店の前だよ!ラボガレージだよ!」というと

 

 

 

 

『パァーーーーーーーーーーー!!』

 

 

 

 

と大きな音がしてビックリした。

 

夜中の新宿に旅立ちのクラクションが響く。

 

また涙が込み上げてくる。

 

会社の前でも同じように長めのクラクションを鳴らしてくれた。嬉しかった。

 

 

 

 

家には母と加曽利が先に帰ってひでの布団の用意をしてくれていた。

 

もうすぐ着きますと連絡して腕時計を見たら、

 

ひでを揺さぶっていた時にずれたのかチンプンカンプンな時間を指していた。

 

家に着いた時には明け方だった。

 

ひで、やっと帰って来れたね。

 

 

 


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