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朝は早かった。

 

起きて化粧をして着物を着てしばらくしたらよしみちゃんが到着した。

 

朝早くの着付けの予約が何処も出来なくて私がすることになっていた。

 

自分の母や姉以外に女性の着付けをするのは久しぶりだったから緊張したけど、

 

二人でキャッキャいいながら楽しかった。

 

それから家族がみんな集まって、

 

私は葬儀屋さんと弔電の仕分けをしたり、

 

みんなでひでに旅支度をした。

 

無事に三途の川を渡る為の足袋や着物、六文銭の入った袋などをひでに身につけさせていく。

 

なんだかすごくバタバタして忙しかった。

 

 

 

 

式場は昨日とは違う告別式用に椅子や台が整えられていて、

 

また昨日と同じで私は言われたままにしていただけで途中まであまり覚えていない。

 

そして最後のラブレターを私は葬儀屋さんの可愛い声で代読してほしかった。

 

でも自分で読めるならその方が絶対いいよって言われて自分で読むことにしていた。

 

正直ちゃんと読めるかわからなかった。

 

泣いて読めなくなったらここまでの意気込みはどうなっちゃうんだろうと思っていたけれど、

 

マイクの前に立った時、

 

手紙をどこにやったのかわからなくなって頭の中がパニックになった。

 

結局椅子の上に置いて来た鞄の中に普通に入っていたんだけど

 

そんなこともわからなくなるくらいなのに、

 

「そうだ、泣いて読めなくなった時の為に葬儀屋さんがコピーを持っているんだ」と頭が働いた。

 

 

 

 

「嫁ちゃんはいつもすごくしっかりしてるのにここぞっていう大事な時にいつもやらかすんだよね」

 

ってひでがよく言っていた。

 

そういえば婚姻届を出しに行く日も、

 

何日も前から時間や場所を確認して準備してたのに

 

大事な戸籍を持っていくのを忘れて急いでタクシーで取りに帰った。

 

 

 

 

なんかそんなこと思い出しているうちにコピーが手元にやって来て、

 

最初の言葉を読んだ時、言葉が詰まって、だめだこのままじゃ崩れると思った。

 

結局私は最初の一行が読めなくて、

 

ひと呼吸置いてからそこを飛ばして次から読んだ。

 

読みながらいけるって思った。

 

あまりに私が淡々と最後まで読んで、

 

はっきり言ってその内容も人に聞かせる為に書いた訳じゃなかったから、

 

たぶん感動した人なんてほとんどいなかったと思う。

 

泣き崩れて読めなかった方が感動的だったのかもしれないけど、

 

そんなことより最後まで読めたよ!カッコ良かったでしょ?とひでにいえる方が私には嬉しかった。

 

だってひでとの想い出、私の気持を綴ったひでと私にしか解らない

 

たくさんの事が詰まったとても個人的な手紙だから。

 

 

 

 

そして棺に色々な物を納めた。

 

お弁当、タバコ、お酒、お気に入りの靴、ドラムスティック、手紙とお小遣い、

 

ほかにもひでに持っていってほしいものがみんなの手で入れられた。

 

告別式にもたくさんの人が来てくれて

 

献花でひでの棺は一度ピンクのお花でいっぱいになって、

 

その後は真っ白な胡蝶蘭で埋め尽くされた。

 

まるで花嫁みたい。

 

ひでくん、とっても綺麗だったよ。

 

 

 

 

そして納棺のときから何度もしたけど

 

棺の蓋を閉めるときは毎回これが最後なんじゃないかと寂しかった。

 

本当にこれが最後だ。

 

そして出棺の時には「いってらっしゃい」と拍手で送ってくれた。

 

 

 

 

霊柩車にはわたしだけが乗った。

 

となりにある棺の蓋を開けて独り占めでひでと戯れたかった。

 

でも私はまだ白い大きな位牌を握りしめてうつむいていた。

 

霊柩車に乗る時に好きなCDをかけてくれると言われていたので、

 

準備の時にひでの好きな曲を探したけどやめた。

 

ひでの好きだった曲じゃなくて私が歌うとひでが喜ぶ曲にしようと思って何曲かのCDを作った。

 

ひではバカみたいな歌を歌う私が好きだった。

 

曲が流れると私はもう嗚咽を隠すことなく泣いた。

 

恥ずかしいも意地も思い出すことなく泣いた。

 

バカみたいな歌が流れる霊柩車の中で泣きじゃくる私はとても滑稽だったと思う。

 

 

 

 

他のみんなが乗っていたマイクロバスの中は

 

打って変わってそれなりに盛り上がっていたようでよかった。

 

メッセージでいっぱいのひでの棺を見てお坊さんが

 

「棺を見れば故人の人柄が解ります」と言ってくれたのを覚えている。

 

私はさんざん内緒で泣いたので、

 

火葬炉の前でお経を上げてもらっているときも特に取り乱すほどでもなかったけど、

 

後ろの方から友達のすごい嗚咽が聞こえて来た。

 

そりゃそうだよね、ひでの体がなくなっちゃうんだもんね。

 

できれば冷凍保存でもして科学が進歩するまで何百年でもとっておきたいよ。

 

取り乱したり泣き崩れたりしなかったけど、お経が終わって

 

 

 

 

『ガラガラガラーーーーーーッ!』

 

 

 

 

っと棺が炉の中に入っていくのがあまりにも早くて

 

「あっ」と一、二歩足が前に出た。

 

追いかけそうになった。

 

よくドラマとかで火葬場で待っている間に外の煙突の煙を見て

 

「おばあちゃんが天に昇っていったね」なんていっているのを見たことがある。

 

ひでが焼かれている煙を見てみたかったけど、

 

あいにく天気は悪かったし、そんなものはなかった。

 

 

 

 

あとから聞いた話だけど、

 

火葬される時ほとんどの確率で人は起き上がったり暴れたりするらしい。

 

どういうことかと最初は半信半疑だったけど

 

するめを焼く時に反り返るようなそんなようなことらしい。

 

いくらただの筋肉の縮みだとしても

 

どんな一生脳裏に焼き付くような恐ろしい姿だとしても、

 

ひでのそんな姿を見てみたかったな。

 

最後の骨になるまで全部全部見ていたかったな。

 

 

 

 

物理的なひでがいなくなってしまうわけだから

 

ひでの死のセレモニーの中で火葬が一番辛いんだろうと思っていたけれど、

 

待っている間も落ち着いていた。

 

何十分かたって炉の前に呼ばれてまだ煙の出ている焼けたばかりの骨を見ても、

 

自分が想像してた気持にはならなかった。

 

葬儀屋さんが「抗がん剤の治療たくさん頑張ったから骨も小さくなっちゃったね」と言っていた。

 

 

 

 

なんか、これがひでだなんてその時は全然思えなくて、

 

本当に思えなくて、悲しくもなかった。

 

50センチ四方くらいの台にひでの骨は全部のせられて、

 

一つ一つ「これはどこの骨です。」って丁寧に説明をしてくれて収骨した。

 

ブラシで綺麗に粉までとって

 

ひとかけらも残さずひでの骨は三十センチくらいの白い骨壺に納められた。

 

関東の収骨は骨を全部納めるから大きな人は骨を崩しながら入れないと入らないこともあるみたいだけど、

 

ひではそんな必要もなく収まってしまった。

 

いくら病気で痩せたって、大きくて重かったひでが

 

簡単に私がだっこできるくらい小さくて軽くなった。

 

 

 

 

帰りはひでの遺骨を抱えて私もみんなとマイクロバスに乗ったんだけど、

 

突然フワフワの大粒の雪が降り出して幻想的だった。

 

そこはひでと付き合う少し前に初めて二人で見にいった桜並木だった。

 

そんなことにもいちいち意味があると感じでしまう。

 

 

 

 

そして会場にもどって精進落としでみんなでお食事をした。

 

ひでの前には葬儀屋さんのゆいまーるの計らいでなんと二人前も食事がならんだ。

 

私は喪主なのにたいしたあいさつも出来なくて、

 

お酒を持ってみんなの席を回ったけどやっぱりいい年して大人の対応も出来ないし、

 

本当にひでに甘やかされてたなぁと実感する。

 

ひでなら「嫁ちゃんはそれでいいんだよー!となりで座ってればいいんだよー!」とか言いそうだけど、

 

もう隣にひではいないんだからこれからはちゃんとしないといけないなと思う。

 

通夜、葬儀といろんな人が挨拶をしてくれたけど、みんなわざと「献杯」ではなく「乾杯」をした。

 

 

 

 

そして自宅に帰って綺麗な後壇を作ってもらって

 

いろんな人がお線香をあげに来てくれて納骨までゆっくりひでと過ごしました。

 

なんだか本当に不思議なくらいひでが亡くなってから葬儀が終わるまで、

 

いろんな人の温かさに触れて支えられて素敵な時間を過ごしました。

 

なんかすごく興奮していたし高まっていたし、

 

一人になることもほとんどなくて凄く落ち込むようなこともなかった。

 

 

 

 

もういちど葬儀したい!同じことまたやりたい!違う風にもまたやりたい!

 

そんな風に思うほど幸せな時だった。

 

最後の最後まで何も考えずに「絶対治るから!頑張ろう!」

 

って思い続けてた方がひでは幸せだったんじゃないか、

 

まだ息をしているひでを前に葬儀のことを考えていた自分は冷酷で卑劣な人間なんじゃないか、

 

そんな罪悪感が完全になくなることはきっとないけど、

 

そうじゃなきゃこんなにいい葬儀は出来なかったって言ってくれる人がたくさんいるから、

 

ひでもきっと喜んでくれたと思う。

 

 

 

 

再入院してすぐの頃、ひでが

 

「旅行中止してよかったよね、運転中に麻痺が来て事故になったら

 

嫁ちゃんまで巻き込んじゃうところだった」っていって

 

私は「一緒に死ねるならそれはそれでよかったんじゃない?」っていって

 

「そうだねー」と二人で笑ったことがあったけど、

 

 

ネロとパトラッシュ

 

メルエムとコムギ

 

ボニーとクライド

 

 

そんな風な最後を迎えられたなら最高に幸せだったかもしれないと思う。

 

 

 

 

でも、

 

絶対に私より先に死なないでねという約束をたった数年でやぶったひでだけど、

 

ロマンチックに一緒に逝けたわけでもないけど、

 

今は大切な人を見送る方でよかったと思ってる。

 

誰にも任せられない、大切な人は私が見送りたい。そう思う。

 

ひでを見送ることが出来た私は幸せだと思う。

 

 

 

 

一番悲しむはずの時間を幸せに過ごしてしまった私は、

 

ちゃんとひでの死と向き合えたんだろうか、と思うけど、

 

悲しみや切なさやむなしさや苦しみはそれからずっと

 

海みたいに凪いだり少し高い波を立てたりゆっくり形を変えながら解放してはくれない。

 

きっとこれからもずっと。

 

 

 

 

私と出逢ってしまったからひでは死んだんじゃないか

 

そんなことも度々思う。

 

それは誰にどんな優しい言葉をかけてもらってもぬぐい去れないでいる気持。

 

 

 

 

そして精神的にも体力的にもキツかったのは遺品整理。

 

そのころは痩せてしまって体力もなかったし、

 

想い出がたくさんあって遺品なんて感覚はなかったけど、

 

ひでの物を片付けて処分するのは本当に辛かった。

 

本当は一つ残らず持っていたかったけど、そんなこと出来ない。

 

思い切ってひとつ諦めると、どんどん手放せた。

 

「ありがとう、バイバイ」と、ひとつひとつ、綺麗にまとめた。

 

ひでが気に入っていたコートをハンガーにかけて吊るして、

 

袖を自分の肩に回してコートを抱きしめて泣いた。

 

はたから見たら頭がおかしいとしか思えない光景。

 

そして綺麗に畳んで袋に入れた。

 

 

 

 

遺品整理をしてる途中で39℃の熱が出て一晩苦しかったけど、

 

何年か前に高熱が出たときはひでが夜中に薬や食べ物を買って来て看病してくれたな。

 

と思い出して、一人ってこういうことか、と思った。

 

整理した物は自分で捨てることは出来なくて、アニキに持っていってもらった。

 

私の手元にはひでの物はほとんど残さなかった。

 

ひとつ、ひでが死んだ時に来ていた浴衣がぐちゃぐちゃに丸めたまま二重に袋に入れてある。

 

最初はひでの匂いが残ってるかもしれないと大事にとっておいて、

 

今更匂いが残ってるなんて思ってないけど、

 

いろんな事や気持が整理できたら開けて片付けなきゃと思いながら、

 

いまだに片付けられないでいる。

 

 

 

 

今でもひでが死んだ事が意味解らなくなるときがある。

 

フッと穴に落ちたような感覚になる。

 

「みんな、ひでが死んだって言っている。それなのに普通に生活しているの。

 

おかしいよね?変だよね?」

 

そんな時がある。

 

 

 

 

この一年、物や場所や段階的にどんどんひでと離れていく切ない事がいくつもあった。

 

でも、何を捨てても離れてもひでとの想い出が変わる訳じゃない、なくなる訳じゃない。

 

って言ってくれる人がいたから決断できた事もある。

 

 

 

 

いろんなことが一段落して大変なことばっかりだったけど、

 

ひでと出逢えて本当に幸せだったし、

 

ひでと出逢ったから開けた今も、ちゃんと笑ったり泣いたりしながら生きています。

 

 

 

 

本当、ひでには謝っても謝っても許してもらえない事がたくさんあって、

 

お線香あげても、夢でも、あの世に一番近いって言われてる霊山の恐山に行っても、

 

猫がたくさんいるお寺に行っても結局ひでには会えないし、

 

次は、もうニューカレドニアくらいしか思いつかないけど、

 

きっと天国に一番近い島に行ったってひでには会えない。

 

死んだって私はひでには会えないんだから、全部背負って行きていくしかないんだな。

 

恐山に置いて来た、ひでが死んでからの事全部書いた殴り書きみたいになってしまった長い長い手紙は

 

ひでは読めたんだろうか。

 

そんなことはもう、どうでもいいか。

 

 

 

 

 

とにかく、ひでと出逢えて、最後を一緒に過ごせて、

 

想い出に残る素敵な葬儀が出来て私は幸せだったし、

 

ひでは最後まで精一杯生きて、たくさんの人に愛されていたと言う事です。

 

 

 

 

思い出しながら書いているといろんな感情もよみがえって来て頭も心も体もしんどくて、

 

ダラダラと一年もかかってしまったから、

 

時系列や事柄や間違っている事もあるかもしれないし、

 

大切なのに書き忘れてる事もあるかもしれないし、文体もめちゃくちゃで、

 

私から見た一つの視点なだけで、

 

近くでひでを支えたそれぞれがまた違う想いを持っていると思いますが、

 

ちゃんと全部伝えてほしいと言ってたひでの想いと、

 

私が知ってほしいと思った事が、

 

少しでも誰かに伝わったり役に立てばいいなと思ってます。

 

一年と言う時間は想像してたよりも遥かにあっという間に来てしまったけれど、

 

ひでと出逢ってからの素敵な想いでや大変だった話はいくらでもつきないけど、

 

ここで私が出来る事はだいたい終わったかな。

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

ひでくん、これでいいかな?

 

 

 

ヨメブロおしまい。
 


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    • ★中年A
    • 2016年 1月 20日

    クリック 済。

    • きょんきょん
    • 2016年 3月 31日

    嫁ちゃま、お久しぶり! 全部読破しました。嫁ちゃまが一生懸命看護していた様子やいなくなってしまったひでぽんを想う気持ちがせつなくて胸が痛みました。ひでぽん、お空の上でどんなこと思ってるかな。先に昇ってしまって淋しがってるかもしれないけど、嫁ちゃまが天寿を全うするまできっと待っててくれてるね。私たちの心の中にもひでぽんはずっと居続けてくれると思います。どうか嫁ちゃま、お元気でね。

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