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12月16日

 

このころからいろんな事情があってひでの病状をくわしくブログに書けなくなった。

 

首から上がわずかに動かせる以外自分では手も足も何も動かせないひでは

 

頭の中でいろんなことをしている。

 

困ったように唸り出したから、どうしたの?って聞くと

 

「ファイルをコピーして名前を付けたいんだけど上手く出来ないの」って言ってた。

 

私「えっとね、じゃあね、コピーしたいファイルの上で右クリックしてみて!」

 

ひで「…右クリックわからない」

 

私「右クリックわからない?右クリックって言葉がわからないの?」

 

ひで「うん、わからない」

 

私「…じゃあ、上の方にファイルって言うのがあるから

 

それを押して引っ張ってくると別名で保存って言うのがあるからそこで離して、」

 

ひで「おれにも出来るかな…?」

 

私「出来るよ!私に出来てひでに出来ないことなんて何一つないんだよ!?」

 

ひで「本当?」

 

私「私がやっておいてあげるからね、疲れちゃったね、休んでいいよ」

 

ひで「ありがとう」

 

こんな会話をした。

 

あんなにパソコンが得意だったひでが右クリックもわからないなんて、

 

今までもうろうとしておかしなことを言うことはよくあったけど

 

言葉がわからないことなんてなかったのに。

 

ショックだった。怖かった。

 

 

 

 

12月17日

 

アニキの誕生日。

 

ひでが前によしみちゃんにケーキを頼んでいたみたいで病室で誕生日をした。

 

この頃は舌が下がって来てうまく発音できなくなっていたけど、

 

アニキに「おめでと!」よしみちゃんに「ありがと!」ってちゃんと言ってた。

 

みんなが帰ったあとひでに「もうすぐよしみちゃんの誕生日だよ、どうする?」って聞いたら

 

「ケーキ、トップス」ってささやいた。ちゃんとわかってるんだ。

 

 

 

 

12月18日

 

ほとんどぼーっとしたり寝たり起きたりの繰り返し。

 

枕元で好きな音楽を流してあげたら、

 

言葉はちゃんと言えないけど音に合わせて歌ってた。ちゃんと覚えてるんだね。

 

「カラオケ行きたいね」って言ったら

 

「カラオケ行きたいよー」って聞き取りにくい声で言ってた。

 

 

 

 

12月19日

 

私は夜、朝と昼はよしみちゃんかアニキで三人で交代して24時間ひでの側に誰かいた。

 

この日私は朝交代してもらったその足で服屋に行きました。

 

退院してた時に向かい側の喫茶店から見えた服屋。

 

ひでが、あそこ見たいって言うから行って、気に入ったのがあったのに

 

「服なんかずっと買ってないんだから買えばいいじゃん!買ってあげるよ?」って言ったのに、

 

「もったいないからいいや、嫁ちゃんの服でも見に行こう!」ってひでが言って

 

結局何も買わなかった服屋。

 

そこに行ってひでが気に入っていて似合いそうなシャツとズボンを買った。

 

この頃から私はひでの最後に向けて少しずつ準備を始めていた。

 

私がしてあげられること、幸せな最後にしてあげること、

 

最後の祭りを最高な物にしてあげること、

 

なんか取り付かれたようにそんなこと考えてた。

 

先生からクリスマスまで持つかわからないとずっと前から言われていた。

 

「クリスマスプレゼント」って渡したかったけど、

 

後数日でどうなるかわからないかもと思ったら、すぐにひでに見せたかった。

 

夜に病院に行って「少し早いけどクリスマスプレゼントだよ!ほしがってたやつだよ!」

 

って言って見せたけど反応は薄かった、

 

だんだん表情がなくなって来ていた。

 

最後に着せる服を考えていて気に入っていた服を探したけど、

 

やっぱりひでは新しくてかっこいいやつが着たい!って言うと思った。

 

ちゃんと用意したからね。

 

いつでも看護士さんに渡せるように

 

靴下と帽子とパンツとセットにして病室の棚の一番下にしまった。

 

夜にはシュウと建太が忘年会だ!って来てくれて

 

子供の頃ひでが大好きだったつくねを持って来てくれて、

 

吸い飲みにビール入れてこっそりみんなでお酒飲んだね。

 

 

 

 

12月21日↓

 

言葉がほとんど聞き取れなくなってきた。

 

あいうえおの表を作ったりして私が指差してこれ?とかやってなんとか意思疎通をしようとして、

 

ひでも練習するとか言ってたけどあまり上手く出来ずに、

 

テレビでALS患者用の目線で文字を入力するようなのを見たことがあって調べたりしたけど、

 

新しい対応を考えても全然間に合わないくらい日に日にひでは変わっていってしまう。

 

 

 

 

12月22日

 

病室に向かう途中で前の病棟でお世話になっていた看護士さんと会った。

 

「森田君は本当に頑張ってるよね、意識が下がった時にはどうなるかと思ったけど

 

三回も外出出来て本当によかったね、でもどうしてあの子なんだろうね。」って泣いてくれた。

 

きっと患者にそんなに感情移入することってないし、しちゃいけないのかもしれないのに、

 

私のことも本当によくわかってくれていてボロボロ泣いてくれた。

 

私もあまり人前では泣かないようにしてたけど涙があふれて来た。

 

ひでは幸せ者だな。

 

 

 

 

12月23日

 

表情がない言葉もしゃべれない笑わない、

 

うなるだけで意思の疎通はとれない。

 

もうひでが笑うことなんてないんだと思った。

 

夜にクリスマスパーティーをしようという事になっていた。

 

いろんな人から送ってもらった応援動画を見せてあげるから家からプロジェクターを持って来た。

 

しゅうと加曽利と建太が来てくれて

 

私もひでもみんなでサンタさんの帽子をかぶってパーティーした。

 

「ドンペリだよ!」という言葉に目を開いて息を荒げて興奮した。

 

すいのみでドンペリを飲んだ。

 

動画を見て顔の筋肉は動かないけど吹き出すように何度も笑った。

 

ビックリした。すごく嬉しかった。

 

まだちゃんとわかってるんだね。

 

忘年会の時は反応があまりなかったけど、全然違った。

 

ひでも楽しんでたよね。

 

ケーキのクリームを口に付けてあげたらむにゃむにゃしてた。

 

もっと食べる?と聞くと声になるかならないかだったけど口が「食べる」という動きをした。

 

私はちょうど見てなくて悔しかったけど、私が知っている中でのひでの最後の言葉。

 

みんないい年してサンタさんで、「ばれるー!静かにしろー!」とかいいながらはしゃいだ。

 

忘れられない思い出。

 

 

 

 

12月24日↓

 

もう自分の力で便をコントロールする事が出来ない。

 

首から下はほぼ麻痺している。

 

便は垂れ流し状態。

 

一日に何度もおむつの交換をしてくれる。

 

交換してくれている間にも体の向きをかえると便が出てくる。

 

部屋中に便のにおいが充満する。

 

ひではまだにおいは分かるんだろうか?

 

2週間もほとんど何も食べていないのに栄養の点滴で便がこんなに出るんだな。

 

 

 

 

12月25日

 

お風呂に入れないひでの為に足浴手浴のやり方を教えて貰った。

 

いつも家で使っていた入浴剤を少し入れて、匂いで思い出してくれたらいいなと思った。

 

ずっとお風呂に入っていないひでは皮膚が白っぽくなっていた。

 

乾燥しているのかと思ったら垢だった。

 

お湯でふやかして少しずつ綺麗にしていこうね。

 

わかっているのかいないのか洗ってあげている時は気持良さそうにいつも寝ちゃった。

 

垢だらけなのに、ずっとお風呂に入っていないのに汗や脂の不潔な匂いがしないのが不思議だった。

 

ひでからは甘いような独特の匂いがずっとしてた。

 

 

 

 

12月26日

 

ひでが寝てタオルケットをかけてあげたら腰の当たりに血が付いてた。

 

点滴が外れちゃったりしたのかな?と思ってタオルケットをめくると

 

足の付け根当りの浴衣から血が漏れてた。

 

浴衣をめくるとおむつの間から大量に血が漏れてた。

 

すぐに看護士さんを呼んだ。大量に下血してた。

 

おむつの中に便と大量の血があふれていて血はなかなか止まらなかった。

 

600も血が出たのにひでは苦しそうでも恥ずかしそうでもなかった。反応がなかった。

 

しみの付いた浴衣とバスタオルを夜な夜な病室で洗う。

 

血液と便の混ざったにおいが立ちこめる

 

なかなか落ちないしみを何度もこすった。

 

泣きそうだった。

 

持つかわからないと言われていたクリスマスを無事に越せて、

 

年を越せるかわからないという言葉がよぎる。

 

そろそろかもしれない。焦っていた。

 

 

 

 

12月28日↓

 

どうしてもひでに見てもらいたい動画があったのに、

 

iphoneを顔の前にやっても反応しない。

 

うつろな目で空中を見てる

 

指を目に近づける

 

まつげに触れると目を瞑るけど

 

触れない位置でたたくようなしぐさをしても

 

目もつぶらないし反応しない

 

もう目が見えていないのかもしれない。

 

ライトをかざすと眩しそうに目をつぶる。光は見えているみたいだ。

 

どうしても見てほしかったのに、ほめてほしかったのに。

 

 

 

 

12月29日

 

あまりうなることもなく穏やかだった。

 

毎日うなるのに対応するのに疲れていたけど、

 

たまに来る穏やかな日がいいことではないとわかっていた。

 

意識レベルが日に日に落ちている証拠だ。

 

よしみちゃんの誕生日、朝交代した足でひでに頼まれていたトップスのケーキを買いにいった。

 

夜の交代の時に持っていったらよしみちゃんがすごく喜んでくれた。

 

もうひでは「おめでとう」とも「ありがとう」とも言わない。

 

しゃべれないし解っているのかもわからない。

 

 

 

 

12月30日

 

ちょくちょく熱がでてる時に点滴で解熱剤を入れてもらっているけど、

 

脳からくる発熱だからあまり効いていないみたい。

 

薬を入れてしばらくすると綺麗に左側だけ霧吹きで水をかけまくったみたいに汗が出る。

 

温度調節が片方だけうまく行っていないのだと思う。

 

夜中3時から7時までずっとうなってた。

 

 

 

 

12月31日

 

夜11時頃に森田家のみんなが来て、

 

みんな紙コップにワインをついでカウントダウンして年を越した。

 

こんな形だったけど「みんなで無事にお正月を迎えたい」

 

というひでの願いが叶ってほんとうによかった。

 

病室で少しずつだけど何回も大好きなお酒をこっそり飲んだね。

 

たくさんいろんな人がひでの横で笑ったね。

 

 

 


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