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ヨメブロ4
こんばんは、嫁です。
※コメントの際エラーが出ないようになったみたいです!
承認されるのをお待ち下さい。
元旦のひで様の記事を受けて、
嫁目線でのあの時の事を書こうと思います。
少し長くなりますが、
お付き合いいただけたら幸いです。
2012年大晦日、ひで様のおばあちゃん家の二階で
ひで様とひで兄と三人でテレビを見ていた時。
喉がイガイガして乾いた咳をした後に、耳の後ろらへんに
激痛が走りました。
ひで様が、
「のど飴とってくるね」
と下に降りている間に痛みはさっぱり収まり、
気にもしていなかったのですが、
ひで様が戻って来た時にはすでに麻痺が始まっていたのです。
ふわぁーっと体が倒れてソファに横になって、
ひで様に渡されたアメの袋が左手が麻痺していたため
開けられなかった。
それでも自分ではよくわからなくて、
アメの袋を開けてもらって口に入れてもらいました。
それから突然尿意をもよおしたのに、
どうしても自分で立てなかった。
半分からだが麻痺してる事なんて全然気がつかなかったけど、
こんな所で漏らす訳にはいかないという
恐怖でパニックになりました。
声にならないような声で「トイレ」と何度も言っていた。
ような気がします。
異変に気づいたひで様は嫁を抱きかかえて
下まで降りて、
下の方から救急車という声が聞こえていました。
恥ずかしい話ですが、そのまま失禁した嫁を
ひで様が着替えさせてくれて、
救急車を待っているとき、
「行きたくない!救急車!乗りたくない!
二階で横になってればすぐに治るから!」
という嫁を家族みんなで説得してくれました。
だって、どこも痛くないし、血も出てないし、
自分が救急車に乗らなきゃ行けないって
認める事が怖かったんです。
救急隊の人が簡単に出来る検査をしてくれて
やはり左に麻痺があると分かって、
嫁は救急車で運ばれました。
今思えば、あのとき、すぐに正しい対処をしてくれて、
そして偶然にすぐ近くに脳神経外科の有名な
大きな病院があって、
今嫁は元気にしていられるんです。
ひで様と、森田家の皆様に本当に感謝しています。
そして、気にもしていなかったあの耳の後ろの激痛の時、
嫁の脳動脈は裂け、それが原因で脳梗塞を起こしていたようです。
病院に運ばれて、アクセサリーやら
服やら下着やら身ぐるみはがされて、
MRIとかして、救急の処置室で
少し遠くから
脳動脈がどうのこうの、
少なくても3ヶ月は入院、
など、恐ろしい言葉が聞こえて来た頃、
除夜の鐘が鳴っていました。
可動式のベッドの上で、ババシャツ一枚で
一人でむかえた2013年でした。
それから先生がやって来て、
入院の話を聞かされましたが、
ちゃちゃっと検査してお家に帰れると思っていた嫁。
2日後には京都に帰るのを楽しみにしてた嫁。
「入院、お正月終わってからじゃダメですか?」
「ダメです」
「どうしてもダメですか?」
「ダメです」
懇願むなしく即入院。
まだ事の重大さが分かっていませんでした。
病室に向かうエレベーターの中で
ベッドに横になったまま、ひで様たちに
「あけましておめでとうございます」
とフフッと笑いました。
心電図、いくつもの点滴、血圧計、
脳波計、酸素計、尿道カテーテル、
とにかくすごい数の線につながれた嫁は
個室、ベット上のみの安静という、
どこにも行けない状態で、
ひで様はその日からずっと泊まり込みで
なんでもしてくれました。
あれが食べたいこれが欲しいという嫁のワガママも
全部パーフェクトで聞いてくれました。
自分がいないときに寂しくないようにと
ぬいぐるみも持って来てくれました。
安心出来る環境にと、嫁の部屋からピンクの時計や
鏡やタオルケットや色々なものを持って来てくれて、
殺風景な個室はピンク色のお城になりました。
ピンクのヒラヒラのパジャマを着てぬいぐるみを抱いてる
二十ウン歳の嫁。
きっと看護婦さんたちの噂になっていた事でしょう。
薬の影響か、ずっと頭痛と吐き気で毎日洗面器が手放せない嫁を
ずっと励ましてくれました。
4日目くらいに、状態が悪化して緊急手術が出来たのも、
ひで様がいち早く嫁の症状に気づいてくれたおかげです。
ちなみに嫁がした手術はコイル塞栓術という、
避けた動脈にたまる血栓で脳梗塞が起こるのを防ぐ為に
避けた動脈をプラチナのコイルで塞いでしまおう。
というものです。
これは誰でも出来る手術じゃなくて、
たまたま嫁の左右の脳をつなぐ交通動脈というものが
とても発達していたからだそうです。
片方塞いでももう片方から補えるって訳です。
手術は丁度ひで様が今点滴を入れてる、足の付け根の
太い動脈から内視鏡で行うもので
それでもリスクはつきもので、
塞いでから血が巡らなかったり、
血管から出血したら
緊急で即、頭を開いてのバイパス手術となります。
とひで様は聞いていたそうです。
手術は成功しましたが、一時間半くらいの予定が
三時間もかかってしまい、
心配させてしまいました。
手術中面白かった事は、
意識がある中でしなければいけなかった為、
レントゲンみたいなモニターで
自分の脳にコイルが入って行くのが見れた事、
コイルで仮に塞栓した時に
「左手力入れて下さーい」
と言われ、
パフパフ鳴る子供のおもちゃを握らされた事。
辛かった事は、造影剤というものを脳に入れられた時に
目の前がキラキラとカラフルに光り、
脳みそが燃えるように熱かった事。
私もうダメなのかも、と初めて本気で思った時、
怖いというより、切なかったのを覚えています。
手術をした後はぐんぐんと元気になり、
しばらくして急性期(発症直後、生命の危機にある状態)病棟からも移され、
自分でトイレも行けるようになりました。
ひで様が泊まり込んでくれた簡易のベッドも
片付けられ、お正月休みが終わっても、
毎日面会に来てくれました。
退院時には看護婦さんが持って来た
入院、手術の請求書を
「いち、じゅう、ひゃく…」
と数えて、あまりの高さにびっくり。
「桁間違ってるんじゃないの?」
と二人で笑いました。
それでも
「オレがなんとかするから心配するな!」
と心強いひで様でした。
入院中に一人なのがどれだけ心細いか
知っているだけに、
絶対に面会は一日も欠かしたくありません。
面会開始時間ぴったりから、
面会終了時間まで、
きっちりそばにいたいのです。
もうとっくにひで様の入院期間は
あれだけ長く感じた嫁の入院期間を越えています。
驚異的な早さで回復、退院した嫁。
自宅での安静期間も仕事の合間にずっと看病してくれて、
嫁が知っている以上に、
ひで様は色々な事をしてくれたり、
心身ともに大変な思いをしたと思います。
嫁にはひで様がしてくれたように
完璧にしてあげられる自信がなくて
不安でいっぱいだけど、
今では
「嫁は脳みそが少し死んじゃったから
頭がわるいんだね~!」
と二人で冗談を言えるほど。
ひで様の病気も二人で冗談に出来る時まで、
そばで元気付けられたらいいと思っています。
来年のお正月は一緒におせち食べようね!
コメント
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ピンクのお城って表現がひでちゃんとお嫁ちゃんの愛をよく表してるなあ(o^^o)
お嫁ちゃんが無事で本当によかったって思ったよ(^o^)
来年のお正月は一緒におせち食べてね♪
ヒデくんのこのブログを見て、お嫁様も大変なことになっていたのを知りました。元気になられてよかったです!!!まだこのブログも全ては見れていませんが、最初からちゃんと読まさせてもらおうと思います。お嫁様も応援しております!!!
造影剤、私も経験ありますが、気持ち悪いですよね…
モヤっとした灼熱が身体中を駆け巡る感じ…
「CT内で吐くな」と言われた時は鬼かと思った(笑)
嫁ちゃんも頑張った!
旦那ちゃんもきっと大丈夫!( ´ ▽ ` )ノ
お嫁ちゃん、すっごく愛されてる~(^-^)
ヒデちゃん&森田家のみなさん素敵。
お嫁ちゃんも、身体に気をつけるんだよ。
今晩は。
初コメ遅れてるかな?
ヒデちゃんも嫁ちゃんも支え合ってて最高に素敵な夫婦やなぁって思って観させてもらってます。
ヒデちゃんの
本当に前向きな
病気に立ち向かう
気持ちや、エックス兄や
まわりのサポート
そしてみんなが完治を
願うパワーを思うと
無責任て思われるかも
しれないけど
『絶対大丈夫やわ☆』
って‥
治って元気になるって
根拠なく感じてます。
きっとお互いがお互いの救世主☆
絶対大丈夫!!
(^-^)v パワー オクッテマス!